弁論大会     E. L. 2002年

「私の国ではこんな事が起こるの?」

 私はよく国を紹介するのを頼まれます。その時はアメリカの気候を説明したり、私の出身地のミネソタ州の自然の特徴を話したりします。これらは実際の事実だけれど、重要でない事実です。
 最近、アメリカを紹介する時、私は本当に思うことを言いません。アメリカの子供達が簡単に銃が手に入る、そのことを言いません。アメリカの学校では何回銃撃が起こるか数えられないそのことを言いません。10年前アメリカでは私のような留学生が銃で殺された、そのことを言いません。
 1992年、ルイジアナ州のバトンルージュ市で、服部剛丈くんと彼のホストブラザーのウェブがハロウィーンパーティーに行くつもりでしたが、家を間違いました。その家の主人が家を出て銃を手に持って、英語で「動かないで。」と言いました。その単語がわからない剛丈くんは病院まで行かずに亡くなりました。
 10年後、私は、「YOSHI基金」をいただきました。剛丈くんの両親が作ったものです。一年に一人、アメリカの高校生を選んで、奨学金で日本に留学させます。その立派な奨学金をいただいたので、私は剛丈くんの事件を深く考えました。
 私の考えたことは三つに分けられます。まず、私の国では誰でも銃を持つ許可を得て、私のような外国語がわからない留学生が殺されたという事実です。二番目は服部さんの両親の反応は本当に偉かったということです。最後は、いったいどうやってこの銃の問題を解決するかということです。
 先月、よしくんの日記を読みました。その日記は2ヶ月分でした。読み終わってから、「そのとおりだ。」と心の中で思いました。それから、自分の日記を見て、よしくんと同じことを私も書いたことに気づきました。私の国はこんなおかしい所なの? 私も日本に来て2ヶ月のとき、日本語で「動かないで」といわれてもわかりませんでした。私が死んでしまったら、両親はどうするでしょう。私なら・・・
 よしくんのお父さんは10月20日、事件の3日あと、記者に「交換留学に打撃があったかもしれないが、剛丈の意思を尊重すれば、逆に留学制度を広げてほしいと思う。」と言いました。その上、1993年に服部さん達はアメリカのクリントン大統領に銃の撲滅を訴える200万人に近い署名をあげました。服部夫妻はまた同じような銃の事件が起こらないように一生懸命働いています。しかし、アメリカではまだまだ同じような銃の悲劇が起こっています。
 よしくんの事件を知る前、銃をめぐって私の思うことは「危ないよね。でも、私は一人だ、私は高校生だ、私はすばらしい人ではない。しかたがないね。」ということでした。しかし、日本に来て、銃を撲滅する仕方が見つかりました。それは他人にすばらしい人々、つまり服部さん一家のことを教えることです。服部さん夫妻はアメリカ人、アメリカの子供達のために働いています。でも、私はアメリカ人だから、私こそ働くべきなのです。よしくんはアメリカ好きでした。ですから、私はよしくんの気持ちを忘れずに、日本ではアメリカの本当の姿を紹介していきたいと思います。そして、アメリカではまわりの人達によしくんのことを教えることによって銃がない社会のために一層活動したいと思います。